大島に生きて。
私が住む香川県高松市には大島という島があります。大きい島と書いて大島。でも実際は港の海岸から反対側の海岸まで徒歩で10分もかからない小さな島です。そんな小さな大島には、かつて740人もの人たちが住んでいました。その人たちは、昔からこの島に住んでいたのではなく、島の外から来た人です。いえ正しく言うと連れてこられた人たちです。小学生や中学生の時に、お父さんやお母さんから引き離されて、この島の中に閉じ込められた子ども達もたくさんいました。
どうしてこの島に連れてこられたのでしょうか。昔、日本にはハンセン病という病気がありました。その病気は今から60年も昔に治るお薬ができたのに、他の人たちに「うつる(伝染する)」かもしれないと怖がって、この島に療養所をつくり病気の人を集めたのです。でもお医者さんや看護婦さんは少なく、病状の軽い人が病状の重い人の包帯をかえたり食事をつくったり身の回りのお世話もしてきました。
ハンセン病は「らい菌」という菌が目や皮膚に入り、失明したり、指や顔の一部がなくなっていく病気です。お薬ができたおかげで「らい菌」はなくなりました。だからもう誰かに「うつる(伝染する)」という心配はありません。ただ病気でなくした目や皮膚、神経は元に戻りません。病気が治っても体が痛いとか、他の病気の原因になることもあります。後遺症です。
その後遺症が残っていることで、他の人たちにまだ病気はなくなっていないと勘違いしました。後遺症の治療も島以外の病院では診てくれませんでした。そしてふるさとに帰ることも、島の外の大学に出て勉強することも、子どもをつくることも、好きな仕事につくことも許されず、後遺症に苦しみながら作業をしながら暮らしてきたのです。
多くの人たちがふるさとに帰ることができないままこの島で亡くなりました。人は亡くなったらお墓に入ります。でもこの島の人たちのほとんどは納骨堂という共同のお墓の中で眠っています。亡くなってもふるさとの家族と一緒にお墓に入ることができなかったのです。
家族の人も病気の人がいるということを内緒にしてきました。家族からも病気が「うつる(伝染する)」のではと思う間違った考えの人もいたからです。昔病気だったからという理由だけで、何十年も小さな島に閉じ込められて、亡くなってもふるさとに帰ることができないのです。その人たちの声をもう聞くことはできません。
今、この島に残る元患者さんは68人になりました。子どもの時にこの島にきて、おじいちゃん、おばあちゃんになりました。「あと何年生きられるのだろうか。小さな島のお墓に入る前に今の子ども達や社会に何かメッセージを残しておきたい。」そう思ってインタビューにこたえてくれました。
元アナウンサー 蓮井孝夫
大島に生きて。
私が住む香川県高松市には大島という島があります。大きい島と書いて大島。でも実際は港の海岸から反対側の海岸まで徒歩で10分もかからない小さな島です。そんな小さな大島には、かつて740人もの人たちが住んでいました。その人たちは、昔からこの島に住んでいたのではなく、島の外から来た人です。いえ正しく言うと連れてこられた人たちです。小学生や中学生の時に、お父さんやお母さんから引き離されて、この島の中に閉じ込められた子ども達もたくさんいました。
どうしてこの島に連れてこられたのでしょうか。昔、日本にはハンセン病という病気がありました。その病気は今から60年も昔に治るお薬ができたのに、他の人たちに「うつる(伝染する)」かもしれないと怖がって、この島に療養所をつくり病気の人を集めたのです。でもお医者さんや看護婦さんは少なく、病状の軽い人が病状の重い人の包帯をかえたり食事をつくったり身の回りのお世話もしてきました。
ハンセン病は「らい菌」という菌が目や皮膚に入り、失明したり、指や顔の一部がなくなっていく病気です。お薬ができたおかげで「らい菌」はなくなりました。だからもう誰かに「うつる(伝染する)」という心配はありません。ただ病気でなくした目や皮膚、神経は元に戻りません。病気が治っても体が痛いとか、他の病気の原因になることもあります。後遺症です。
その後遺症が残っていることで、他の人たちにまだ病気はなくなっていないと勘違いしました。後遺症の治療も島以外の病院では診てくれませんでした。そしてふるさとに帰ることも、島の外の大学に出て勉強することも、子どもをつくることも、好きな仕事につくことも許されず、後遺症に苦しみながら作業をしながら暮らしてきたのです。
多くの人たちがふるさとに帰ることができないままこの島で亡くなりました。人は亡くなったらお墓に入ります。でもこの島の人たちのほとんどは納骨堂という共同のお墓の中で眠っています。亡くなってもふるさとの家族と一緒にお墓に入ることができなかったのです。
家族の人も病気の人がいるということを内緒にしてきました。家族からも病気が「うつる(伝染する)」のではと思う間違った考えの人もいたからです。昔病気だったからという理由だけで、何十年も小さな島に閉じ込められて、亡くなってもふるさとに帰ることができないのです。その人たちの声をもう聞くことはできません。
今、この島に残る元患者さんは68人になりました。子どもの時にこの島にきて、おじいちゃん、おばあちゃんになりました。「あと何年生きられるのだろうか。小さな島のお墓に入る前に今の子ども達や社会に何かメッセージを残しておきたい。」そう思ってインタビューにこたえてくれました。
元アナウンサー 蓮井孝夫
大島に生きて。
私が住む香川県高松市には大島という島があります。大きい島と書いて大島。でも実際は港の海岸から反対側の海岸まで徒歩で10分もかからない小さな島です。そんな小さな大島には、かつて740人もの人たちが住んでいました。その人たちは、昔からこの島に住んでいたのではなく、島の外から来た人です。いえ正しく言うと連れてこられた人たちです。小学生や中学生の時に、お父さんやお母さんから引き離されて、この島の中に閉じ込められた子ども達もたくさんいました。
どうしてこの島に連れてこられたのでしょうか。昔、日本にはハンセン病という病気がありました。その病気は今から60年も昔に治るお薬ができたのに、他の人たちに「うつる(伝染する)」かもしれないと怖がって、この島に療養所をつくり病気の人を集めたのです。でもお医者さんや看護婦さんは少なく、病状の軽い人が病状の重い人の包帯をかえたり食事をつくったり身の回りのお世話もしてきました。
ハンセン病は「らい菌」という菌が目や皮膚に入り、失明したり、指や顔の一部がなくなっていく病気です。お薬ができたおかげで「らい菌」はなくなりました。だからもう誰かに「うつる(伝染する)」という心配はありません。ただ病気でなくした目や皮膚、神経は元に戻りません。病気が治っても体が痛いとか、他の病気の原因になることもあります。後遺症です。
その後遺症が残っていることで、他の人たちにまだ病気はなくなっていないと勘違いしました。後遺症の治療も島以外の病院では診てくれませんでした。そしてふるさとに帰ることも、島の外の大学に出て勉強することも、子どもをつくることも、好きな仕事につくことも許されず、後遺症に苦しみながら作業をしながら暮らしてきたのです。
多くの人たちがふるさとに帰ることができないままこの島で亡くなりました。人は亡くなったらお墓に入ります。でもこの島の人たちのほとんどは納骨堂という共同のお墓の中で眠っています。亡くなってもふるさとの家族と一緒にお墓に入ることができなかったのです。
家族の人も病気の人がいるということを内緒にしてきました。家族からも病気が「うつる(伝染する)」のではと思う間違った考えの人もいたからです。昔病気だったからという理由だけで、何十年も小さな島に閉じ込められて、亡くなってもふるさとに帰ることができないのです。その人たちの声をもう聞くことはできません。
今、この島に残る元患者さんは68人になりました。子どもの時にこの島にきて、おじいちゃん、おばあちゃんになりました。「あと何年生きられるのだろうか。小さな島のお墓に入る前に今の子ども達や社会に何かメッセージを残しておきたい。」そう思ってインタビューにこたえてくれました。
元アナウンサー 蓮井孝夫
インタビュー記録
インタビュー記録
野村 宏さん(79歳)
野村 宏(のむら ひろし)さん 昭和27年 16歳で大島青松園入所
らい予防法とプロミン治療 (00;11;45)
結婚と強制堕胎 (00;22;50)
らい予防法廃止の訴え (00;40;38)
今、幸せですか (00;49;00)
母の存在 (00;58;37)
※平成27年9月21日に収録しました。
<<再生時間 1時間5分9秒>>
野村 宏さん(79歳)
野村 宏(のむら ひろし)さん 昭和27年 16歳で大島青松園入所
らい予防法とプロミン治療 (00;11;45)
結婚と強制堕胎 (00;22;50)
らい予防法廃止の訴え (00;40;38)
今、幸せですか (00;49;00)
母の存在 (00;58;37)
※平成27年9月21日に収録しました。
<<再生時間 1時間5分9秒>>
野村 宏さん(79歳)
野村 宏(のむら ひろし)さん 昭和27年 16歳で大島青松園入所
らい予防法とプロミン治療 (00;11;45)
結婚と強制堕胎 (00;22;50)
らい予防法廃止の訴え (00;40;38)
今、幸せですか (00;49;00)
母の存在 (00;58;37)
※平成27年9月21日に収録しました。
<<再生時間 1時間5分9秒>>
森 和男さん(75歳)
森 和男(もり かずお)さん 昭和25年 9歳で大島青松園入所
大島青松園 子ども舎(少年寮)での生活 (00;10;07)
中学卒業と患者作業 (00;13;19)
入所者の逃走と自殺 (00;23;02)
大島に残る解剖台 (00;39;45)
差別と偏見 (00;49;06)
これからの大島 (00;56;39)
※平成27年9月21日に収録しました。
<<再生時間 1時間5分6秒>>
森 和男さん(75歳)
森 和男(もり かずお)さん 昭和25年 9歳で大島青松園入所
大島青松園 子ども舎(少年寮)での生活 (00;10;07)
中学卒業と患者作業 (00;13;19)
入所者の逃走と自殺 (00;23;02)
大島に残る解剖台 (00;39;45)
差別と偏見 (00;49;06)
これからの大島 (00;56;39)
※平成27年9月21日に収録しました。
<<再生時間 1時間5分6秒>>
森 和男さん(75歳)
森 和男(もり かずお)さん 昭和25年 9歳で大島青松園入所
大島青松園 子ども舎(少年寮)での生活 (00;10;07)
中学卒業と患者作業 (00;13;19)
入所者の逃走と自殺 (00;23;02)
大島に残る解剖台 (00;39;45)
差別と偏見 (00;49;06)
これからの大島 (00;56;39)
※平成27年9月21日に収録しました。
<<再生時間 1時間5分6秒>>
磯野 常二さん(84歳)
磯野 常二(いその じょうじ)さん 昭和17年 10歳で大島青松園入所
戦時中の大島青松園 (00;04;08)
眼球摘出 (00;10;47)
少年寮での生活 (00;15;30 )
家族との交流 (00;27;50)
入所者の脱走と自殺 (00;41;57)
しあわせですか (00;52;55)
※平成27年9月20日に収録しました。
<<再生時間 1時間5分51秒>>
磯野 常二さん(84歳)
磯野 常二(いその じょうじ)さん 昭和17年 10歳で大島青松園入所
戦時中の大島青松園 (00;04;08)
眼球摘出 (00;10;47)
少年寮での生活 (00;15;30 )
家族との交流 (00;27;50)
入所者の脱走と自殺 (00;41;57)
しあわせですか (00;52;55)
※平成27年9月20日に収録しました。
<<再生時間 1時間5分51秒>>
磯野 常二さん(84歳)
磯野 常二(いその じょうじ)さん 昭和17年 10歳で大島青松園入所
戦時中の大島青松園 (00;04;08)
眼球摘出 (00;10;47)
少年寮での生活 (00;15;30 )
家族との交流 (00;27;50)
入所者の脱走と自殺 (00;41;57)
しあわせですか (00;52;55)
※平成27年9月20日に収録しました。
<<再生時間 1時間5分51秒>>
坂田さんご夫妻
坂田 和人(さかた かずと)さん 昭和28年 24歳、ヒデ子(ひでこ)さん 昭和25年 19歳で大島青松園入所
青松園入所の記憶 (00;00;30)
絶たれる命 (00;12;25)
妹 (00;23;33)
人生を振り返って (00;32;16)
※平成27年9月20日に収録しました。
<<再生時間 39分44秒>>
坂田さんご夫妻
坂田 和人(さかた かずと)さん 昭和28年 24歳、ヒデ子(ひでこ)さん 昭和25年 19歳で大島青松園入所
青松園入所の記憶 (00;00;30)
絶たれる命 (00;12;25)
妹 (00;23;33)
人生を振り返って (00;32;16)
※平成27年9月20日に収録しました。
<<再生時間 39分44秒>>
坂田さんご夫妻
坂田 和人(さかた かずと)さん 昭和28年 24歳、ヒデ子(ひでこ)さん 昭和25年 19歳で大島青松園入所
青松園入所の記憶 (00;00;30)
絶たれる命 (00;12;25)
妹 (00;23;33)
人生を振り返って (00;32;16)
※平成27年9月20日に収録しました。
<<再生時間 39分44秒>>
教材づくり
インタビューに関連する写真素材は学習用教材の目的にご使用ください。
教材づくり
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教材づくり
インタビューに関連する写真素材は学習用教材の目的にご使用ください。
大島での校外学習
大島は、高松港から東方約8kmに位置する島です。島の大部分はハンセン病療養所である国立療養所大島青松園が占めており、現在では同園の入所者、職員等関係者のみが居住しています。
大島の自治会では年間1000人以上の子ども達の校外学習を受け入れてきました。施設見学や入所者との交流をおこない、人権の大切さを学んでいます。自治会のみなさんも島に訪問してくれる子ども達との交流を楽しみにしています。
一方で高齢化により入所者の平均年齢は80歳を超えています。近い将来、居住する人がいない島になるかもしれません。
「あと何年、子ども達と入所者さんとの交流できるのか」そう考えると、この島に生きる人たちの声を今、残してかなければなりません。
※施設見学は大島青松園福祉室へお問い合わせください。
http://www.nhds.go.jp/~osima/kengaku.html
ハンセン病倫理研究会 出前授業
https://hansen-rinri.jimdofree.com/
大島での校外学習
大島は、高松港から東方約8kmに位置する島です。島の大部分はハンセン病療養所である国立療養所大島青松園が占めており、現在では同園の入所者、職員等関係者のみが居住しています。
大島の自治会では年間1000人以上の子ども達の校外学習を受け入れてきました。施設見学や入所者との交流をおこない、人権の大切さを学んでいます。自治会のみなさんも島に訪問してくれる子ども達との交流を楽しみにしています。
一方で高齢化により入所者の平均年齢は80歳を超えています。近い将来、居住する人がいない島になるかもしれません。
「あと何年、子ども達と入所者さんとの交流できるのか」そう考えると、この島に生きる人たちの声を今、残してかなければなりません。
※施設見学は大島青松園福祉室へお問い合わせください。
http://www.nhds.go.jp/~osima/kengaku.html
ハンセン病倫理研究会 出前授業
https://hansen-rinri.jimdofree.com/
大島での校外学習
大島は、高松港から東方約8kmに位置する島です。島の大部分はハンセン病療養所である国立療養所大島青松園が占めており、現在では同園の入所者、職員等関係者のみが居住しています。
大島の自治会では年間1000人以上の子ども達の校外学習を受け入れてきました。施設見学や入所者との交流をおこない、人権の大切さを学んでいます。自治会のみなさんも島に訪問してくれる子ども達との交流を楽しみにしています。
一方で高齢化により入所者の平均年齢は80歳を超えています。近い将来、居住する人がいない島になるかもしれません。
「あと何年、子ども達と入所者さんとの交流できるのか」そう考えると、この島に生きる人たちの声を今、残してかなければなりません。
※施設見学は大島青松園福祉室へお問い合わせください。
http://www.nhds.go.jp/~osima/kengaku.html
ハンセン病倫理研究会 出前授業
https://hansen-rinri.jimdofree.com/
子ども達からの感想文
子ども達がどのように感じ、ハンセン病の歴史や差別偏見について理解が深まることを願っています。子ども達がまとめた「感想文」などの学習成果もぜひお寄せください。
感想文を募集しています。
2016/08/02 00:00動画教材をみて、感じたこと、学んだこと、大島の人たちに伝えたいことを感想文としてお寄せください。
《 メッセージの形式 》
テキスト形式でお願いします。どの方へのメッセージなのか記載していただくと、入所者ご本人に感想文をお届けします。
《 連絡先・送付先 》
メールアドレス:y.nakano(アットマーク)denmark.ne.jp
※アットマークは@に置き換えてください。
〒760-0004 高松市西宝町1−16−13
一般社団法人まちテレ
中野裕介宛て
子ども達からの感想文
子ども達がどのように感じ、ハンセン病の歴史や差別偏見について理解が深まることを願っています。子ども達がまとめた「感想文」などの学習成果もぜひお寄せください。
感想文を募集しています。
動画教材をみて、感じたこと、学んだこと、大島の人たちに伝えたいことを感想文としてお寄せください。
《 メッセージの形式 》
テキスト形式でお願いします。どの方へのメッセージなのか記載していただくと、入所者ご本人に感想文をお届けします。
《 連絡先・送付先 》
メールアドレス:y.nakano(アットマーク)denmark.ne.jp
※アットマークは@に置き換えてください。
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一般社団法人まちテレ
中野裕介宛て
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子ども達からの感想文
子ども達がどのように感じ、ハンセン病の歴史や差別偏見について理解が深まることを願っています。子ども達がまとめた「感想文」などの学習成果もぜひお寄せください。
感想文を募集しています。
2016/08/02 00:00動画教材をみて、感じたこと、学んだこと、大島の人たちに伝えたいことを感想文としてお寄せください。
《 メッセージの形式 》
テキスト形式でお願いします。どの方へのメッセージなのか記載していただくと、入所者ご本人に感想文をお届けします。
《 連絡先・送付先 》
メールアドレス:y.nakano(アットマーク)denmark.ne.jp
※アットマークは@に置き換えてください。
〒760-0004 高松市西宝町1−16−13
一般社団法人まちテレ
中野裕介宛て
動画教材について
Postscript
「らい予防法」は平成8年に廃止されました。そしてその後、その過ちを繰り返さないよう、小中学校・高校の人権学習の場として、多くの子どもたちがこの島を訪れ、元患者さんたちからハンセン病の歴史を聞いたり、交流をおこなってきました。
しかし「らい予防法」廃止から20年が経ち、交流を続けてきた元患者さんの平均年齢が80歳を超え、亡くなられた方も多くなりました。
「あと何年、校外学習を続けていけるだろうか」香川国際ボランティアセンター事務局長の蓮井(Takao Hasui )さんから話を伺い、何かお役になてるならと、元患者さん5名のインタビューを動画で記録しました。
この動画は、子どもたちがiPadなどのタブレットで動画を見ながらメモをとり、後で、図書館の本やネットで画像を検索して、自分の力でまとめる力をつけてもらいたく、あまり手を加えないようにしました。
また横向きではなく、縦向きにしています。テレビモニタで見るときには小さく映るかもしれませんが、iPadなどのタブレットを縦にして表示していただけるとインタビューしている人が身近にいるように感じられるかもしれません。
この動画教材が多くの子ども達に差別や偏見のない社会の大切さを伝えてくれることを願っています。
一般社団法人まちテレ 中野裕介
動画教材について
Postscript
「らい予防法」は平成8年に廃止されました。そしてその後、その過ちを繰り返さないよう、小中学校・高校の人権学習の場として、多くの子どもたちがこの島を訪れ、元患者さんたちからハンセン病の歴史を聞いたり、交流をおこなってきました。
しかし「らい予防法」廃止から20年が経ち、交流を続けてきた元患者さんの平均年齢が80歳を超え、亡くなられた方も多くなりました。
「あと何年、校外学習を続けていけるだろうか」香川国際ボランティアセンター事務局長の蓮井(Takao Hasui )さんから話を伺い、何かお役になてるならと、元患者さん5名のインタビューを動画で記録しました。
この動画は、子どもたちがiPadなどのタブレットで動画を見ながらメモをとり、後で、図書館の本やネットで画像を検索して、自分の力でまとめる力をつけてもらいたく、あまり手を加えないようにしました。
また横向きではなく、縦向きにしています。テレビモニタで見るときには小さく映るかもしれませんが、iPadなどのタブレットを縦にして表示していただけるとインタビューしている人が身近にいるように感じられるかもしれません。
この動画教材が多くの子ども達に差別や偏見のない社会の大切さを伝えてくれることを願っています。
一般社団法人まちテレ 中野裕介
動画教材について
Postscript
「らい予防法」は平成8年に廃止されました。そしてその後、その過ちを繰り返さないよう、小中学校・高校の人権学習の場として、多くの子どもたちがこの島を訪れ、元患者さんたちからハンセン病の歴史を聞いたり、交流をおこなってきました。
しかし「らい予防法」廃止から20年が経ち、交流を続けてきた元患者さんの平均年齢が80歳を超え、亡くなられた方も多くなりました。
「あと何年、校外学習を続けていけるだろうか」香川国際ボランティアセンター事務局長の蓮井(Takao Hasui )さんから話を伺い、何かお役になてるならと、元患者さん5名のインタビューを動画で記録しました。
この動画は、子どもたちがiPadなどのタブレットで動画を見ながらメモをとり、後で、図書館の本やネットで画像を検索して、自分の力でまとめる力をつけてもらいたく、あまり手を加えないようにしました。
また横向きではなく、縦向きにしています。テレビモニタで見るときには小さく映るかもしれませんが、iPadなどのタブレットを縦にして表示していただけるとインタビューしている人が身近にいるように感じられるかもしれません。
この動画教材が多くの子ども達に差別や偏見のない社会の大切さを伝えてくれることを願っています。
一般社団法人まちテレ 中野裕介